本章は、第4章で分類した「他力本願のカメレオン型」の皆さんに贈る対策です。
あなたは、大勢で盛り上がるのが好きなタイプですか。秋の学園祭は言うまでもなく、日頃から飲み会やイベントを企画するのが得意ですか。
イベント好きな学生は、卒制も仲間と共に取り組もうとします。みんなを集めて、コミュニケーションの楽しさで制作の苦しさを乗り越えようとするのです。しかし、卒制とは、自分と向き合う孤独な作業に他なりません。夏が終わり、秋が深まっていくと、一緒に頑張ろうと誓いあったはずの仲間たちは、いつのまにか個々の卒制に没頭しています。気がつけば、後輩とつるんで遊んでいるのは自分だけで、肝心の卒制は企画倒れに終わりそうです。「こんなはずじゃなかったのに」と、さみしい思いを抱く前に、卒制とは何かを理解しておく必要がありあそうです。
イベント好きな学生たちは迷います。「卒制で誰を喜ばせようかな?」
友達?両親?それとも卒制展に来てくれる人達を対象にしますか。本心では「自分が好きなことしか出来ない」と分かっていても、サービス精神が旺盛な彼らは、自分の作品によって誰かを幸せにしたいと考えます。可能性のあるプランをいくつか列挙して、どの企画がもっともみんなの賛同を得られるだろうか、と頭をひねるのです。
私に言わせれば、まだ作ってもいない作品で誰かを幸せに出来る保障なんてありません。誰かが喜ぶシーンをイメージすることは大事ですが、作ってから初めて改善点が見えることもあります。自分を満足させる卒制を作ることすら難しいのに、他人を幸せにするという目的をかかげるのは無理な設定ではないか、と思うのです。
しかし、イベント好きな学生たちにかかれば出来ないことはありません。彼らには実績があるのです。夏のキャンプで星空を見ながら仲間たちと語り合った記憶や、学園祭の模擬店で焼きそばを売り上げた記録が、「計画すれば何でも出来る。いざとなったら仲間の誰かが助けてくれるし、いざとなったら仲間のためには一肌脱ぐ覚悟がある」、と強い自負を抱かせます。彼らの心のよりどころは仲間の数と連帯感の強さです。企画力には定評があるから「あえて無謀なスケールの卒制に挑みたい」と、考えるのも彼らの大きな特徴です。
「最初で最後の卒制だから、身近なテーマなんてつまらない。今、ここに生きる自分のリアルな思いを作品として形にするため、みんなのために、自分は全力で取り組みます!」
そう海に向かって叫ぶのです。熱い。実に熱いのです。
こうしてイベント好きの学生は、卒制も一種のイベントと捉えて企画します。
壮大な計画、華やかなステージ、ノリのいい音楽、そして驚く聴衆。見る者の五感を揺さぶる見たこともない卒制を作りたい。ショーアップした卒制展を想像するだけで、心が躍りだしそうです。想像しただけで興奮してきて、夜も寝付くことが出来ません。
イベント好きな学生は、たいていゼミに遅れてやってきます。夜更けまでいろいろな計画を立てているので、毎朝決まった時間に起きることが出来ないからです。でも彼らの目は輝いています。卒制では夢のような空間を作り、みんなをあっと言わせるのだと。
果たしてそこまで非日常の世界が必要なのでしょうか?卒制とは日々の研究の積み重ねです。そして卒制展とは、地道で平凡な努力の結晶にようやくスポットが当たる日です。「卒制をイベント化する必要はない」というのが現在の私の持論です。とはいえ、私もかつては卒制をハレのイベントだと思っていました。美大生だった頃、私は水を使ったインスタレーションを制作しました。真っ暗な展示室で噴水を仮設して照明を当てると、静かな水音と色鮮やかな光が周囲に反射しました。私は映像学科に所属していたので、夢のような世界を作ることこそ卒制だ、と思っていたのです。
のちに美大の先生になり、私が初年度に担当したゼミでは、ほぼ全員が同様に、暗い空間に作品を展示したいと望みました。そして、床には赤や黒の布地を広げて、その上に作品を並べました。その中に黒こげに焼いた椅子を展示した学生がいました。彼は卒制展の期間中、毎日スーツを着て現れ、作品に花を活けたり、来場者に作品の説明をしたりして楽しみました。後日、
「パフォーマンスを通じて、観客とコミュニケーションをはかることが作品の意図だった」
と打ち明けられて、私は大いに納得したものです。しかし、
「作品を熱心に支持した一部の人を除いて、不思議な目で見る人もいた」という報告には、私は卒制の意味を再度、彼と自分自身に問わなければならない、と思いました。結果的に彼が作り上げた世界は、学科の目指す方向性、つまり賞の方向性とは合致していたとは言えなかったからです。私はもやもやとした反省を胸に、卒制とは何だろうと考えていました。しかし、いつまでも就職活動を始めなかった彼は、卒業後に「その卒制がきっかけとなって、他学科の先生に就職を世話してもらった」と話してくれました。そのエピソードに胸をなでおろしたことも事実なのですが。
次第に私は、卒制イコールイベントという考え方に疑問を持つようになりました。デザインと名のつく世界では、力いっぱいショーアップすることが必ずしも最良の結果を生み出すわけではありません。要素をそぎ落とし、何度も作り直した後に、洗練という地平が見える場合も多いからです。仮に、夢と現実のブレンド具合でアートとデザインの違いを定義するならば、アートは夢の割合が大半を占め、デザインは現実の割合が大半を占めるものだと思います。私はこのことをイベント好きな学生に明確に伝える必要がある、と思いました。
例えば、前述のひらめき重視派の学生たちには、何も言う必要はありません。彼らはシンプルかつミニマムでおしゃれなギャラリーを現実的に作り出すことが出来るからです。一方、イベント好きな学生たちは、ほっておくとどこまでも要素を盛り込もうとします。可能ならば、ミニチュアの劇場を卒制展に作りたいとさえ考えているのです。どこまで演出が必要で、どこから簡潔にしなくてはいけないのか、私は学生たちと度々話し合う機会を設けました。それでは、イベント好きな学生に贈る具体策を、順に確認していきましょう。

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