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8-4-3.学外のスポンサーと手を組むな

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そもそも、卒制作品は誰のために作る物なのでしょうか。自分のため、それとも同世代の若者のためでしょうか。イベント好きの学生は言います。「卒制展に足を運ぶ来場者のために作るのだ」と。

彼らは卒制展を、不特定多数の人々に自分の考えを伝える場だと考えています。そこで、まだ見ぬ友人に価値観を肯定してもらう日のために、自分の世界観を表現するのです。しかし価値観の共有を架空の相手に求めてしまうと、「わかる人にしかわからない」マニアックな仕上がりに陥る傾向があります。

どうか、ターゲットを見誤らないで下さい。本当は多くの人に理解してもらいたいし、本音を言えば学科で表彰されてみたいと思うなら、卒制展の位置づけをはっきりと理解しておきましょう。(参照:7-1.学生の作品を最終的に審査する役割

実は、卒制のターゲットとは先生なのです。自分のビジョンと先生のビジョンがぴったり一致した時に、両者の間に価値観のハーモニーが生まれて、おまけに表彰されるのです。卒制展は学科への貢献度を示す展覧会とも言えるでしょう。

とはいえ、こんな風に言い切ると語弊が生じそうです。「先生のために作る卒制」と言うと、なんだかあざとい印象が生まれます。また、「学科の賞が欲しいから、学科で評価されるものを作る」と言うと、もっと嫌らしい感じになります。しかし現実的に言って、卒制も授業の一環です。卒制の出来に対して成績が決まるのです。卒制の主催者が先生である限り、学科のお眼鏡にかなうように研究と発表を行っても当然ではありませんか。しかしここまで明確に言い切ってしまうと、さまざまな卒制の付加価値を否定することになるので、今まで誰もが明言はしてきませんでした。卒制が担うその他の役目については前章で触れましたが、ここでは学科の視点から卒制の位置づけを再度まとめておきましょう。

卒制は各学生の個人研究ですが、大学で仕上げることに意味があります。各自の頭に宿ったアイデアを、学科が示した教育の延長線上に並べて、きちんと教育理念を継承しているかどうかを検討していきます。そのためにゼミや講評回では先生と学生が密に向き合い、どうすればより良い卒制になるかを話し合います。

しかしイベント好きな学生は、そこに新たな風を吹き込もうとします。学外にスポンサーを見つけて来て、卒制の資金を出してもらうかわりに、一緒にアイデアを実現しようとするのです。歴代の私のゼミ生も、こう考える学生たちがいました。

人望の厚い彼らは、決まってバイト先の店長に見込まれて、こう誘われるのです。「今度、店舗の改装を考えているんだけど、君の卒制と一緒に実現しない?」と。ある学生は、卒制でラーメン屋の屋台を作るアイデアを暖めていました。また、ある学生はショップの内装資金を負担してもらう変わりに、インテリアデザインの考案を引き受けようしようとしていました。

イベント好きな学生は、もともと大きい話が大好きですから、すぐにその気になってしまいます。何より卒制の資金の心配から開放されますし、「大学の授業という枠をとっぱらい、実社会とつながったほうがよっぽどリアルな卒制になる」と思えるからです。しかし、ワクワクしてくる一方で、いいのかな?とためらって、彼らは私に相談するのでした。
「先生、スポンサーに声をかけられて迷っています。どうすればいいですか?」
そして私は「やめなさい」と一喝することがほとんどでした。

前述のように、卒制とは先生と学生が向き合うプログラムです。そこに学外の第三者を交えれば、まとまる話もまとまらなくなります。時には自分の思い通りに作ることが出来ず、先生の意見を聞く事すら難しいのに、さらにスポンサーの意見を取り入れていたら、卒制の方向性が定まらなくなります。お金を出す人は口も出します。三者三様に考える中で、スポンサーはきっと自分の思い通りに作らせようとするでしょう。「それでも嫌な時は、きちんと断ることが出来ますか?」と私が確認すると、学生は「やっぱり組むのを辞めます」と言うのが常でした。

私に言わせれば、「十数万円で制作できれば安上がりだ」と言って自分の会社の改装に美大生を使おうと発想する人は、教育をなめています。「大学では教えられないことを、実践で教えてあげよう」という人も、大学をバカにしています。

いかに実社会で得る体験が現実的で素晴らしくても、大学には学内でしか出来ない研究領域があるのです。おそらく多くの学生にとって、卒制は基礎研究、萌芽的研究、発明、利益をともなわない計画、学生ならではの自由な発想に取り組む最後の機会です。この先就職したあかつきには、会社の理念を念頭において、仕事に専念しなくてはいけません。OJT(オン ザ ジョブトレーニング、職場での実務経験)には、卒業後はいくらでも取り組むことが出来ます。しかし、自分が主導権を握るプロジェクトは、この先しばらく出来ないでしょう。ですから、この最後の機会には、教育の砦の内側に学外の人間を入れてはいけません。

しかし、例外もあります。産学協同のプロジェクトとして、資金提供するスポンサーとゼミ担当の先生が契約する場合です。資金をいったん研究室に入れてもらい、先生の監視下のもとで学生とスポンサーが意見交換を行います。費用の使い方は先生と学生が一緒に決定します。こうすれば、先生が盾となり、大人の思惑や都合から学生を守ることが出来ます。その代わり、作品が完成した暁には先生も一緒に相手先企業にお礼を言いに行きますし、卒制展の案内状やお礼状を送ったりといった配慮もは忘れません。

ここまで状況を整えるなら、と伝えると、にわかスポンサーはたいてい遠慮します。「お金を出しても思い通りにならないのなら面倒だ」と思うからかもしれません。つまり、「お金と時間がムダになっても仕方ない。でも、少しでも成果が上がるなら学生の可能性にかけてみよう」と覚悟した会社だけ、堂々と産学連携の道を歩むのです。このように、即座に見返りが得られなくても学生の資質に投資する心意気、それを教育と呼ぶと私は信じています。

3年後期の水膜の作品「Jellyfish」

私は安易にスポンサーをつけた経験があります。大学3年のとき、進級課題で噴水のインスタレーションを計画しました。しかしどこから制作に手をつけたらいいのか分かりませんでした。非常勤講師の先生に相談すると、学会を通じて大手キッチンメーカーの部長を紹介してくれました。その人はすぐに2台のポンプを無償で貸してくれましたが、「もうすぐクリスマスだし、女子大生と自分の部下をくっつけたい」という妄想を抱いていました。噴水の展示を終えて、後日私が会社へポンプを返却しに行くと、部下との飲み会がセッティングされていました。おまけにクリスマスケーキまで用意してありました。

部長が言うには、これを手土産にして、部下の人に私を家まで送らせる計画だというのです。部長の脳内では、部下の人を私の家族にまで合わせるつもりなのでしょうか。私が遠慮すると、上機嫌の部長は「大学院なんて進学しないで、永久就職すればいいじゃないか」と言い放ちました。ロマンスを夢見る部長には後で話を合わせておくことにして、私は部下の人と別々に帰りました。「これが無償で機器を貸してもらった代償か・・・」と帰りの電車で、暗い気持ちになったことをここに記しておきます。

それから三年後、大学院生の時にも別のスポンサーと知り合いました。大学の先生の紹介で、IT会社に遊びに行ったのです。その会社の女性社長は、会うなり私の事を気に入ってくれて、すぐに噴水に関する特許を3件、登録商標を1件、申請してくれました。もちろん費用はその会社持ちです。即決で私に投資してくれたのです。社内には、社長の愛くるしい愛犬が駆け回っていましたし、立地から言って、事業が破竹の勢いであることは、学生の私にもわかりました。

それから時折、研究の進捗状況を話したり、展覧会の内容を報告したりしていたのですが、博士課程を卒業した年に、アーティストとしてひとり立ちしたいと思うようになりました。「名義を私の名前に書き換えて、権利を買い戻したい」とその会社に連絡すると、すぐに弁理士が手続きの書類と請求書を用意してくれました。久々に社長に会うことになり、私はとても緊張しました。これまでのお礼と今後の抱負を話すと、理解を示してくれました。これまでに立て替えてもらった金額に手数料を乗せて返金して、無事に独立と相成りました。今でも、私の才能を見込んでくれた社長に対する感謝の気持ちは変わりません。

私の例で伝えたいのは、スポンサーとはさまざまな権利を含め、いろいろな付き合いが生じるということです。同じスポンサー制度なら、学術団体の助成金や奨学金のほうが、申請書や報告書と引き換えに金額が振り込まれるシンプルな仕組みであることは間違いありません。しかし、助成金申請は大学院生や研究者になってからでも遅くはありません。

学園祭や単発イベントならまだしも、卒制では制作に集中するためにも、お金は自分で用立てましょう。資金面でも、研究内容においても、自分で卒制をコントロールするのです。

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